栃木県 益子焼
益子焼は土瓶やすり鉢などの日用品を中心に作られており、値段が安かったこともあり、もともとは焼き物としての評価は低いものでした。
この益子焼に新しい命を吹き込んだのが、濱田庄司です。
民芸運動の実践者だった濱田と自由な風土にひかれ、多くの陶芸家が益子に集まるようになった。
益子焼は日常雑器をルーツとしているものだが、地元の土を使ったどっしりとして温かみのある器が多く、土に根ざした力強さがある。また、伝統的な表現だけにとらわれず、のびのびとした作品を作る若い作家も増えてきている。
特徴
益子焼の素晴らしさは土にあるといわれます。
益子の土は、珪酸分が多く鉄分を含み、可塑性に富み、耐火性も大きいのが特徴です。益子焼では、この粘土を他の成分を加えずに使うため製品自体は厚手になるものの、それがかえって手になじむ益子焼ならではの魅力を生み出しています。
また、益子焼の土の味わいを引き立てているのが釉薬です。
益子の土は釉薬ののりが非常によいという特徴があり、様々な技法によって益子焼独特の味わいが生み出されています。
茨木県 笠間焼
日常生活でつかう陶器をたくさん生産してきた笠間。
全国の窯元の中では伝統を守るため閉鎖的になっているところも多い中、笠間は非常に開放的です。
そのため、自由な作風で作陶する若い作家が全国から集まり、従来の笠間のイメージにとらわれない様々な器が作られています。
益子焼と近しい印象のある笠間ですが、こちらも同様に自由な活気に満ちた窯場です。
特徴
伝統へのこだわりのない笠間だけに、様々な焼き物があふれていいます。
「特徴がないのが特徴」とも言われる笠間焼は、決まった技法などはなく、多種多様自由な作品も多いので、まだ器に興味の薄い若い方にも楽しめる窯場だと思います。
石川県 九谷焼
九谷焼で有名なのは古九谷という美しい絵付け磁器ですが、いつごろどこで始まったか定説がありません。
また、一部では「実は有田で作られていたのではないか」との説も
あります。
白地に鮮やかな色で花鳥、山水、人物などが描かれた、古九谷は40年ほどで活動がストップしてしまったと言われています。
以後150年ほど加賀には九谷焼の窯はありませんでしたが、江戸時代後期頃、九谷は復興し、明治に入ってからは海外にも輸出される人気の焼き物になりました。
特徴
白磁に豪華絢爛な絵付けが特徴的な九谷焼。
鮮やかな緑や赤の上絵付け、金彩などを施しているものもあり、それは、たくさんの作品の中には、器というより「磁器というキャンパスに描かれた絵」といった作品もあるように思えるほどです。
福井県 越前焼
六古窯のひとつで平安時代末期から壷や瓶、すり鉢など日用品を作られていた窯場。
大物制作用のろくろを使わない和積み技法(紐作り)は今も越前の得意技。
その技法はいまでも現代の作家に受け継がれています 。
特徴
「越前焼」の特徴は鉄分を多く含むため耐火度が高く、茶褐色に焼きあがります。壷・甕・すり鉢の3つを中心に作られたのが「越前焼」。
越前焼の魅力は無釉焼き締めの素朴な豪快さと素朴さ、自然釉による偶然の美といったもの。
華やかな装飾はないものの、ぬくもりと落ち着きがあります。
大物の作品も多い越前ですが、越前の土は組成の粗く、粒子の細かい土と違って大物を作るのに向いています。
腰が強く、伸びがよく、割れにくい地元の土を使ったざっくりとした無骨な質感が越前焼の魅力なのかもしれません。
岐阜県 美濃焼
美濃は古くから釉をかけたやきものを作ってきた土地です。
茶の湯の権威・千利休が、自身の侘び茶の理念を反映させた茶碗を、京都の陶工・長次郎に作らせた(1580年頃)ことが始まりでした。
代表的なものは個性的な形と緑の釉薬が特徴の「織部」、黄色の肌に草花文などが描かれた「黄瀬戸」、
白い釉に赤い緋色があらわれる「志野」など。
今回はその中でも最も有名な「織部」に絞って解説いたします。
特徴
織部は戦国時代の武将にして茶人、「古田織部」に由来します。
古田織部が茶席で好んで使ったことからこの名前になりました。
あるのもは濃淡をなして器全体を覆い、
あるものは透明釉と掛けわけられて対比を見せています。
当時の日本人はその器ごとに異なる「けしき」が織部焼きの魅力の一つとされています。
また、織部の大胆に歪められたフォルムや、自由な抽象文様が織部焼きの魅力とされています。
▼以下個人的感想です。
陶芸を始めた頃は、正直織部の魅力がよくわかりませんでしたが、最近になって深い緑の色彩や絶妙なフォルムに魅力を感じるようになりました。
若い作家さんでも織部を現代的にアレンジしている方もいらっしゃるようで、少しづつ時代に合わせて変化をしつつ若い世代の方にも愛される器であって欲しいな、と思います。
愛知県 瀬戸焼
六古窯のひとつで日本で最初灰釉や鉄釉など施釉を始めた窯場です。
東日本では陶磁器を「せともの」とも言います。そのくらい、人々の日常生活に瀬戸焼が溶け込んでいるのです。
陶器だけでなく磁器の染付など、長い歴史のなかで様々なスタイルを取り入れながら機能美に磨きをかけています。
特徴
織部は戦国時代の武将にして茶人、「古田織部」に由来します。
古田織部が茶席で好んで使ったことからこの名前になりました。
あるのもは濃淡をなして器全体を覆い、
あるものは透明釉と掛けわけられて対比を見せています。
当時の日本人はその器ごとに異なる「けしき」が織部焼きの魅力の一つとされています。
また、織部の大胆に歪められたフォルムや、自由な抽象文様が織部焼きの魅力とされています。
▼以下個人的感想です。
陶芸を始めた頃は、正直織部の魅力がよくわかりませんでしたが、最近になって深い緑の色彩や絶妙なフォルムに魅力を感じるようになりました。
若い作家さんでも織部を現代的にアレンジしている方もいらっしゃるようで、少しづつ時代に合わせて変化をしつつ若い世代の方にも愛される器であって欲しいな、と思います。
愛知県 常滑焼
六古窯のひとつ。約900年の歴史を持つ焼き物の街。
常滑は古語で「滑りやすいところ」という意味です。これは、古くから良質の土が産出していたということです。
常滑焼の起源は12世紀頃ですが、当時は仏教関係のものが多く作られ、その後明治時代に入ってから朱泥急須など代表的な常滑焼が作られるようになりました。
その後土管やタイルの大量生産で知られるようになり、最近では若い作家も増え、作品の芸術性も高まっています。
特徴
常滑焼は原料に含まれている鉄分を赤く発色させるのが特徴です。
鉄分を多く含む陶土を、釉薬をかけずに堅く焼き締めたオレンジ色の朱泥(しゅでい)の急須は、常滑焼を代表するやきもの。
使い込んでいくうちに艶が出てきて美しい表面になります。
(しかも、お茶の酸化を防ぐので常滑の急須で飲むお茶は美味しいとか!)
また、常滑の陶土は粘り気があり粒子が細かいため、削ったり、磨いたりして形を作ることができます。そのためか、工業用タイル、土管などの建築土木関連の製品が多く、国的に著名なタイルメーカーも常滑焼から育っています。
三重県 万古焼
万古焼の始まりは江戸時代に茶の湯の趣味をもった桑名の豪商が四日市付近に釜を作ったことが始まりです。
自ら作り出した焼き物を「いつまでも変わらない永遠の生命を持つ」という意味を込めて「萬古(万古)」と名付けたそうです。
有名なのは紫色の急須や土鍋、現在では洋食器も数多く作られています。
特徴
万古焼といえば、土鍋と急須。この二つにしぼってご紹介します。
土鍋:万古の土鍋に使われる土は、リチウム鉱石がく40%前後含まれているため、耐熱性に優れています。生産高は国内の80~90%近くを占めています。
急須:使えば使うほど味わいと光沢を増すと言われる紫泥の急須は伝統工芸品に指定された四日市萬古焼急須のシンボル。
お茶は上薬を塗った急須を使ったり、空気に触れたりすると酸化しますが、萬古焼の急須は釉薬を使わずに焼き上げられている上、土はアルカリ性なので、酸化されてしまったお茶は急須を通して中和され、味が落ちません。
三重県 伊賀焼
同じ土を使っていたため、伊賀焼は信楽焼によく似ていると言われます。
その伊賀焼が独特の発展を見せるようになったのは桃山時代以降、伊賀の領主の筒井氏の命令で茶道具が作られました。
これが自然釉の彩のある素朴な茶器、「筒井伊賀」です。
その後、次の領主、藤堂氏が作らせたのは京風の「藤堂伊賀」、同時期に小堀遠州のつくらせた繊細で技巧的な茶器、「遠州伊賀」と続いて作られ、本来の伊賀焼の素朴さ、豪快さはなくなってりました。
その後は停滞しましたが、江戸中期にはいると瀬戸の陶工から釉薬の技術を学び日用雑器が作られ、伊賀焼は復興を遂げることとなりました。
特徴
茶陶として尊ばれた伊賀焼の魅力は、器にヘラで大胆に加えた傷跡や、焼きしめられた胎土から自然に溶け出したビードロと呼ばれるガラス質の釉や、焦げ、緋色などの融合した偶然の美にあると思います。
また、信楽焼と違い、「耳」がついているのも特徴です
滋賀県 信楽焼
六古窯のひとつ、信楽焼は初期の頃は農具などを中心に作られていましたが、後期以降そのシンプルさが茶人に好まれ侘び茶の器として愛好され、一躍注目を集めました。
「利休信楽」など茶人の名を入れた信楽焼も複数ありますが、これは著名な茶人が信楽焼を愛用したことを示しています。
明治時代には一時衰退しましたが、現在は植木鉢やタイルなどを大量生産し活気を取り戻しています。
特徴
信楽焼は、古来、無釉陶器(釉薬を掛けずに焼き締める陶器)を生産してきました。
長石を含んだ白色の信楽胎土は良質で、高火度の酸化炎により焦げて赤褐色の堅い焼締め肌になり、本来は無釉ですが、焼成中に薪の灰がかかる自然釉が淡黄、緑、暗褐色などを呈し器物の景色を豊かにします。
無釉陶器を生産する産地は沢山ありますが、信楽は、登り窯、穴窯の薪窯焼成によって得られる温かみのある火色(緋色)の発色と自然釉によるビードロ釉と焦げに味わがあり、素地肌の明るさにおいて際だっています。
また信楽は狸の置物でも有名です。
京都府 京焼
江戸時代に京焼と呼ばれるやきものが始まります。
一口に京焼と言われても、粟田焼や清水焼、八坂焼などがあり、京都で焼かれるやきものを総称して京焼と言います。
近世の京焼が飛躍的に発展を見せたのは、江戸時代前期に野々村仁清(にんせい)や尾形乾山(けんざん)が登場してからです。京焼最大の特色である色絵を完成させ、絵画的な意匠を駆使した独自の陶器へと変貌していきました。
特徴
江戸時代に京焼と呼ばれるやきものが始まります。
一口に京焼と言われても、粟田焼や清水焼、八坂焼などがあり、京都で焼かれるやきものを総称して京焼と言います。
近世の京焼が飛躍的に発展を見せたのは、江戸時代前期に野々村仁清(にんせい)や尾形乾山(けんざん)が登場してからです。京焼最大の特色である色絵を完成させ、絵画的な意匠を駆使した独自の陶器へと変貌していきました。
兵庫県 丹波焼
丹波焼は、日本六古窯の一つに数えられ、その歴史は平安時代末期から鎌倉時代初期まで遡ります。
起源の頃の丹波焼は、窯の中の炎と灰により、自然の光沢を帯びた重厚な美しさをたたえ、「古丹波」として世に知られています。
慶長16年ごろ朝鮮式半地上の「登り窯」が導入され、同時期に取り入れられた蹴りロクロ(日本では珍しい立杭独特の左回転ロクロ)とともに、伝統技術を今日に受け継いでいます。
現代では釉薬を使った陶器もよく見られるようになり、 食器・花器等の民芸品を中心とした作品作りが行われてます。
特徴
穴窯時代のやきものは、紐づくりロクロ仕上げで、人工的な釉薬は使われず、穴窯の中で長時間焼かれることにより、燃えた薪の灰が焼成中に器に降りかかって、原土の中に含まれた鉄分と融け合い、緑色や鳶(とび)色を自然発色しました。これが自然釉(ビードロ釉)といわれるもので、穴窯時代丹波焼の特徴となっています。
登り窯による焼成は約60時間続き、最高温度は1300度に達しますが、その結果燃料である松薪の灰が器の上に降りかかり、釉薬と融け合って窯変し、「灰被り(はいかぶり)」と呼ばれる魅力的な色や模様が一品づつ異なって表れるのが丹波焼の大きな特徴です。
その奔放で野放図さが魅力の丹波焼は体裁より実を感じさせる魅力があります。
岡山県 備前焼
日本を代表する六古窯の中でも最も古く、古墳時代の須恵器がルーツであると言われています。
備前焼の特徴である無釉焼き締めの様式は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて成立した。
初期の頃は日常雑器が主に焼かれていたが、茶の湯の盛んだった室町時代後期には、茶器も作られるようになります。
備前焼の古風な土の変化と、その味わいは侘びさびを大切にする茶人に好まれたと言われています。
特徴
無釉で焼き締める備前焼は土と炎の出会いによって生み出される、胡麻、棧切り、牡丹餅、緋襷などの窯変が大きな特色です。
備前の土は田んぼの底の粘土質の土。鉄分の多いその土は茶褐色で耐火度が低い為、焼成は念入りに行われます。ゆっくりと窯の温度を上げていくことで様々な窯変が生まれ、器を彩ります。
焼成は、高温で約2週間焼き締めるため、非常にかたく、「投げても割れない」と言われるほです。
また、微細な気孔があり通気性に優れているため、切花が長持ちする花びんや、微細な凹凸により、きめ細かな泡ができることからビールグラスとしても重宝されています。
山口県 萩焼
萩焼は一見シンプルですが、深みを感じさせる焼き物です。
焼き上がりが軽く、装飾面も素朴で、わび茶のムードに良く合う。がっしりと焼きが固く、絵付けの華 やかな唐津茶碗よりは、茶陶として優れており、多くの茶人に好まれたと言われてる。
やさしい風合いと、しっとりとした吸い付くような質感は素朴ながら魅力的でファンも多いが、焼き上がりはとても柔らかい為、水洗い、持運びなどに際して壊れやすい難点がある。
特徴
萩焼の大きな特徴は、焼き上がりの土の柔らかさとその吸水性にある。萩焼きは登り窯によって、 低火度で長時間ゆっくりと焼くため、高温で焼く時よりも吸水性が高くなります。
そのため長年使っていくうちに茶や酒が浸透して茶碗の色彩が変わり、それを「萩の七化け」という。
また萩焼は形もまた特徴的です。
伝統的に朝鮮式の蹴りロクロが使用され、 その微妙なブレを生かして製作され、絵付けはほとんど行われていない。
また「切り高台」が多いのも特徴。
白っぽく仕上がったものを「白萩」、赤っぽく仕上がったものを「紅萩」と言いますが、土と釉の微妙な関係からも変化が生じるそう。
愛媛県 砥部焼
砥部の地は山に囲まれた傾斜地にあったため、登窯に最適で、さらに周囲の山から燃料となる赤松が大量に採れたことからやきもの作りに適した土地でした。
昔は陶器の生産が盛んでしたが、安永6年、藩主加藤泰時が磁器生産を命じたことが砥部焼のはじまりです。
砥部で良質の砥石が発見され、窯業は発展していきました。
大正頃は輸出を主としていましたが、第二次世界大戦後に勢いが衰えると、再び国内向けに生産を切り替え今に至ります。
特徴
厚手でぽってりとした重量感、あたたかみある白磁の肌に、味わいある素朴な呉須と呼ばれる藍色の絵付けが魅力です。
格調高いデザインとやや厚手の素朴な形と堅牢な材質が、砥部焼きならではの独特の持ち味となっています。
和食器のなかでも特に丈夫といわれるほど、強く扱いやすいのですが、そのぶん重たいのが欠点だともいえます。
今日では伝統的スタイルに加え、新しい砥部焼を目指す若い陶工達による現代的意匠の作品も増え、人気の陶産地として多くのやきものファンを魅了し続けています。
福島県いわきの小さな陶芸教室
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